昭和四十五年三月二十七日 夜の御理解
昨日、熊本の、おー、富永先生があー、お礼に出てみえまして、こたつの間でお食事をあげて、まぁいろいろお話をしておる間に、この正月にお参りをさせて頂いた時に親先生から、あの、御神米にお書き下げを頂いた。今年は、あー、合楽でもそうでしょうけれども、私の御広前でも、おー、そういう感じがいたしますと言うて、私は忘れておったんです。正月の事だけれど。な、どげなお書き下げを頂いたんですかって言ったら、「天地新春」と頂いとった。天地がもう、いわゆる天地新春、新しい春ですね。そしたらそこでまぁすぐ頂く事がですね、あの、「天の輝き地の温もり その催しに催されて」という事。天の輝き地の温もり その催しに催されてと。それはね、うーん、あちらのまい、第一の信者とまぁ自分でも言っておられますが、大変こう良い徳にも触れていかれ、合楽のえー、御信心と言うか、御理解を頂いてそれから非常に信心が変わってきてね、熱心になられて自動車で30分位の所から日参をしておられるそうですが、もーう、本当に御用の頂き頭、もうお金がいる時には、神様がお金と言うて下さるそうですね。うん。体の御用の時には御用と。もうまた細かい、いろんなあー、御用の時でも必ず神様にお知らせを頂いて、御用させて下さいというて、大変まぁ忙しい商売をなさっておられる方らしいですけれど。なかなか御用も出来ておるという、ね。
それが、その、先生不思議な事がその、非常に神様からも頂く事も、あの、はっきりしてるが、お気付けも非常にはっきりしてるちゅう。そのお気付けがね、え―、例えば、あー、非常に気短かでもう夫婦ゲンカが絶え間がなかったそうで、人らしいですけれどね。その人がもーう、信心するようになって決してもう夫婦ゲンカはいたしませんと、言うてその、まぁ神様には誓うておられた。まぁ半年になるそうですがね。それがどういう間違いかその爆発して夫婦ゲンカが始まったんですね。そしてその、奥さんの臀部をですね、こちらの右の手でばーんとこうやってはじかれたそうですね。そしたらそれっきり右の腕が神経痛になった。痛み出した。ほれからもう倒れたところを後ろからおしりをぱーんと今度はあい、左の足で蹴りなさったげなたい。足の骨が折れたと。左の足が。もうこの神様ばっかりはもう本当に有り難い神様だけれど恐ろしい(笑)と言うて、その申します。ちゅうて。
もちろんその事から改まられてすぐおかげ頂いたそうですけれどもね。本当にきびしい事ですと言うて、そのお話をしよりなさっとる時に、この事を頂くんですよね。あの、天地新春に対する、その「天の輝き地の温もり その催しに催されて」そのもよ、確かに合楽で私は和賀心時代とか、あーあのーうー、今年という年柄はといったような風な事を申しておりますのはやっぱこの事だろうと思うですね。そういう、そのー、天地の催しがもう始まってるです。もう、いわゆるある意味で、その、和賀心時代というか、その芽がふきだした。天地新春の、その、おー、兆しというものが合楽に始まっておるわけですね。そういう生き生きした働きが始まっておるからこそ、役に立つ、例えばそういう信者が信心で無い事になってきたらですね、それこそ手がはれたり、足が折れたりするような結果になる。え―、やはりその催しに催されてそういう事になってくるわけです。本当に聞かせて頂きながら、有り難い事だなと。本当にまぁ、合楽の信心を熊本の地に、私はどうでもおし進めていく、その、義務がある、責任がありますと言うて、まぁそのーおー、事を大変熱心に言うておられます中にですね、私もあ、ほんにそうだったなぁ、天地新春というお書き下げを頂いた事。それから、その御信者さんのそういうような、あー、良い事悪い事につきはっきり頂かれる、その事がです。すでに、え、そのー、天地の温もりに、そのー、天地の催しにですね、催されてそういうはっきりした事が起きておる。そういう働きが始まっておるという事を、おー、まぁ、感じずにおられませんでしたがね。お互いの上にもやっぱりそれと同じような事が、やはりあるようなおかげを頂かなければならんと思いますね。どうぞ。